大判例

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東京家庭裁判所 昭和43年(家)6963号 審判

国籍 アメリカ合衆国アリゾナ州 居所 東京都

申立人 ジョウ・ドナルド・レイン(仮名)

外一名

国籍 アメリカ合衆国バージニヤ州 居所 東京都

未成年者 名未定 一九六七年一二月二二日生

主文

申立人らが本件未成年者を養子とすることを許可する。未成年者の名は、「ルナン・ローラ」とし、この養子縁組の成立によつて、未成年者は、申立人らの姓である「レイン」を名乗るものとする。

理由

一  申立人ジョウ・ドナルド・レインは、一九二五年三月一七日アメリカ合衆国ワシントン州で生れた合衆国市民で、一九六〇年ミシガン大学を卒業して哲学博士となり、アリゾナ大学に助教授として招かれ、一九六三年同大学準教授となり、一九六七年八月日本の固有名詞研究のため、フルブライト・ヘイズ法にもとづく奨学金を受けて(アリゾナ大学の教職については、一年間の休暇をとつた)、来日したが、今年八月中に帰国しアリゾナ州に帰住する予定である(今年六月アリゾナ大学教援となつた)。

申立人エルサ・テイ・レイン(旧姓クルク)は、フィンランドで生れ、同国市民権を持つもので、ヘルシンキ大学を卒業後、ミシガン大学に留学中の一九五八年前記申立人と知り合い、一九六四年八月九日フィンランドのラウマ市において同国の方式に従つて同申立人と婚姻をし、アリゾナ州で婚姻生活を続けていたが、一九六七年同申立人とともに来日した。

他方、本件未成年者は、日本駐留の合衆国軍人ウオルター・エフ・ディヴァニイ(バージニヤ州にドミサイルを持つ)の家族(同人の娘)であるところのジューン・エル・ディヴァニイ(一九五一年六月ウエストバージニヤ州で生れた合衆国市民であり、バージニヤ州に法定のドミサイルを持つ。一九六七年に来日した。未婚)が一九六七年一二月一二日日本神奈川県○○合衆国陸軍病院で出産をした男児(合衆国市民権は、移民国籍法第三〇九条C項にもとづいて取得した)であつて、同児の母は自己の両親の賛成を得て一九六七年一二月二九日同児の命名は未了のまま、養子縁組の目的のもとにこれを申立人らに引き渡したものである。

申立人らは昭和四三年(一九六八年)六月二八日本件養子縁組許可の審判申立をし、未成年者の母であるジェイ・エル・ディヴァニイは七月一六日付上申書を提出し、この縁組承諾の意思に変わりがない旨を表明した。

このように本件においては、養親となるべき申立人らも、養子となるべき未成年者も、いずれも外国人であつて、その本国法上の住所は日本にあるものではないが、申立人らは一年近く現実的に日本に居住するものであり、未成年者は日本で生れて日本に現在するものであり、かつ、その親は、合衆国軍人家族たる特殊の事情からではあるが、日本に居住するものであるから、縁組当事者および承諾権者のこのような居住関係からみて、この養子縁組に関する裁判については、日本の法制上、日本の裁判所が裁判管轄権を持ち、これを行使することができるものと考えられる。

二  ところで、日本の国際私法たる「法例」第一九条第一項によると、「養子縁組の要件は、各当事者につき、その本国法によつて定める」ことになつている。よつて、この点につき検討するに、まず、申立人ジョウ・デイ・レインについては、同申立人は前記のような研究目的をもつて、一年の期間を限つて日本に滞留しているにすぎない(現在も、アリゾナ州に選挙権を持つている)から、同申立人のドミサイルは依然として合衆国アリゾナ州にあるものと解するのが相当である。従つて、同申立人についての本国法に該当するのは、結局、アリゾナ州の法律であるということができる。つぎに、申立人エルサ・テイ・レインについては、同申立人はフィンランド市民権を持つものであるから、その本国法がフィンランド法であることは多言を要しないでてろう。さらに、未成年者については、同児は日本で生れたものではあるが、合衆国市民権を取得したものであることは前記のとおりであり、同児のドミサイルは親(母)のドミサイルによるべきものと思われるので、同児についての本国法となるのは、結局、合衆国バージニヤ州の法律であるということになるであろう。

三  以上の点に関して、「法例」第二九条によると、「当事者の本国法によるべき場合に、その国の法律に従い、日本の法律によるべきときは、日本の法律による」(これは、日本法への反致条項といわれる)とあり、本件においては、特に、アリゾナ州の法制と、バージニヤ州の法制とについて、日本法への反致があるのではないか、ということが問題となるようである。

(一)  もし、この反致条項の適用問題の基礎を当事者の住所におき、例えば、合衆国の法制は住所地法主義であり、当事者の住所は日本にあるから、日本法への反致があるといおうとするのであれば、この場合における住所とは、「当事者の本国法上の概念による住所」であるべきであり、本件においては、そのいずれの当事者も日本にその住所がない場合である(ただし、にこにいう住所とは、法的生活の基礎としての住所、すなわちドミサイルを指すのではなく、合衆国諸州の裁判管轄権存在の基礎としての住所(レジデンス)に該当すれば足りるとの見解に対しては、後に触れる)から、本件は日本法への反致がないことが明らかであろう。

(二)  「アメリカ合衆国における国際私法の原則上、養子縁組の準拠法は法廷地法である」として、本件のような場合には法廷地は日本であり、従つて、合衆国市民たる当事者に対しては、日本法を適用すべきものとなる、との見解が多いようである。

しかし、この見解には、便宜論はともかくとして、純理論的見地からは、賛成し難い。何となれば、合衆国諸州における法廷地法の原則なるものは、しかもこれを養子縁組のように必ず裁判によることを必要とする事項に限定していうならば、それは、各州自身が持つべき裁判管轄権の有無と密接不離の観念であつて、合衆国諸州の裁判管轄権概念が日本のそれとは異なると同様に、合衆国諸州の準拠法概念と日本の準拠法概念とは異なるものであり、また、合衆国諸州における法廷地主義準拠法概念と裁判管轄権概念とは密接な関係にあるのに反し、日本における準拠法概念は裁判管轄権概念には直接の関連を持たないものであるから、日本が法廷地であることをもつて、直ちに合衆国諸州の準拠法概念を日本の準拠法概念に結びつけることはできないものといわなければならないからである。

(三)  「もし、ある州が当事者の一方の住所をもつて裁判管轄権の基礎とし、しかもその者の住所が合衆国法制上も日本にあるならば、法廷地たる日本に合衆国法制上の裁判管轄権があり、日本法への反致が成立し、当事者の他方についても日本法に準拠すべきことになる」とする見解もある。本件は、養子縁組当事者のいずれもが自己の本国法上の住所を日本にもたない場合であるから、上記の見解を本件について維持するためには、「住所」の代わりに「現実的居住の場所」におきかえて考えるということになるであろう。事実、合衆国諸州の多くは、当事者の現実的居住をもつて養子裁判についての裁判管轄権の基礎とするものと考えてよいようである(アリゾナ州では、裁判地は養子裁判の申立人が居住する州にあると定め、その例にもれないようである)。けだし、現今における合衆国諸州の養子制度は、一九一二年に設置された連邦児童局の調査と勧告とによつて改善されてきたものが多く、その中心となるものは裁判前調査主義と、公私の児童福祉機関の関与とにあるようであるが、これらの仕組みが実効を収めるのに重要なものは、当事者(殊に、養親となるべき者)の時間的継続性を具えた、州内の現実的居住であつて、単なる法的概念だけの住所をもつてしては不十分なものとして理解されるに至つたことにあるのであろう。

このように合衆国諸州における裁判管轄権は、養子裁判については、現実的居住でよいと解するとしても、合衆国諸州の法制では、ある州(本件では、アリゾナ州)にその要件となる居住関係がないというならば、その州は自州に裁判管轄権がないものとし、自州は養子裁判をすることを否定するというだけのことであつて、他国(または他州)に自州の裁判管轄権が存在するのだとか、その他国(または他州)が自州の裁判管轄権を行使するのだなどとは考えないのである。本件についていえば、日本に存在するのは、日本の裁判管轄権であつて、アリゾナ州の裁判管轄権でもなければ、バージニヤ州の裁判管轄権でもないのである。そして、このことに関連して、アリゾナ州とバージニヤ州とをふくめた合衆国諸州がこの日本の裁判管轄権を承認するであろうか、という問題がほかに存在することになるわけである。

合衆国諸州の法制では、前に述べたように、裁判管轄権と法廷地主義準拠法とは密接な概念であるから、その州の裁判管轄権のないところその州の準拠法があるとは考えられないはずである。従つて、日本の裁判管轄権が存在し、しかも、その存在が合衆国諸州の法制から承認されるであろう場合には、合衆国諸州のいずれの準拠法も、当該州の衝突法上の作用としては(また、その隠れた作用としても)、日本に到来することはないものといわなければならない。

(四)  以上に関連して、なお言及しなければならないことは、「他州(または、外国)で適法になされた養子縁組決定は、その州(または、その外国)が法廷地に該当するときは、自州においても承認され、または、自州でなされた養子縁組決定と同様の効力を有する」という原則が合衆国衝突法にあるといわれるが、これは、外国裁判承認(または、外国における法律適用の結果の承認)の法理にあたるものであつて、この中には、日本の法制にいう準拠法指定の意味は、公序概念による制約の点は除き、全くこれにふくまれていないことである。

(五)  申立人エルサ・テイ・レインの本国たるフィンランドの国際私法についてであるが、その国際家族法に関する法令(一九二九年三七九号)の中には、「養子縁組当事者の本国において有効だと考えられるならば、外国で許された養子縁組はフィンランドでも有効と考えられる。養親または養子となる者としてフィンランド国民がふくまれ、外国で許されようとする養子縁組の場合には、フィンランド法務大臣の認可が必要である」と規定され、日本法への反致条項は見当らないようである。(なお、申立人エルサ・テイ・レインに対するフィンランド法務大臣の認可は、一九六八年四月二三日付で発せられている。)

四  進んで、本件申立の内容につき審査するに、当事者らの前記各準拠法上適法な縁組要件を具備していることは明らかであり、当裁判所の審問期日における申立人らに対する審問の結果、記録に添付された資料および社会福祉法人日本国際社会事業団ワーカーの申立人夫婦家庭訪問報告書(ワーカー・デイアン・カゲ担当、一九六八年三月一八日実施)の写によると、この縁組を形成させることは未成年者の福祉を図るうえにおいて相当であると認められる。よつて、この縁組については許可すべきものとする。

なお、この養子縁組の効力については、「法例」第一九条第二項により、養親の本国法によると定められるが、本件では養父の本国法と養母の本国法とが異なるので、そのいずれによることとなるかが一応問題となる(この両者の重複的適用ということは、まず考えられない)。しかるところ、養子縁組の効力というものは、広義には親子間の法律関係の一態様とも見ることができるので、後者の精神により、本件は養父の本国法によるべきものと考えられる。従つて、この養子縁組の効力は、養父の本国法たるアリゾナ州の法律によるべきものであろう。(この場合にも、日本法への反致があるとして、前述のように考えることには賛成できない。)

五  最後に、本件未成年者の姓名の問題に触れることとする。一般に人の姓については、「法例」第二〇条に定める、親子間の法律関係にあたると解するのが通例であるが、養子縁組成立時に名乗ることとなるべき姓の問題については、養子縁組成立の効力規定たる「法例」第一九条第二項を適用すべく、結局、養親(本件では養父)の本国法によることとなると解する。本件における養父の本国法である、アリゾナ州の法律によると、「未成年者は養親のサーネームを名乗る」と規定されているので、これを本審判の主文に掲げて明らかにすることとする。

また、名(サーネームに該当する部分を除いたもの)の変更については、その者の人格権の問題として、その者の本国法によるものと解すべきところ、本件未成年者の本国法に該当するバージニヤ州の法律によると、「養子縁組の申立書の中に、子の名を変更すべき申出がある場合、中間命令は、確定裁判により子の名を変更する旨を記入することができる」と定められているので、本件未成年者は養子縁組の際にその名を変更されることができるものというべく、本審判において、これが変更を許可することとするが、本件は、実親が命名未了のまま、養子縁組の成立に際して創始的に命名されるのをこの子のために最善と考え、申立人らに一任したものであるから、ここでは名の変更に準じてこれについての審判をすることとする。 よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 野本三千雄)

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